「EXECTIVE’S Choice――ゼロフィニッシュだけあればいい!」Vol.5
ハーレーダビッドソン 亀戸 代表取締役社長・野間健児さん

東京の城東地区最大の繁華街を抱える錦糸町。コロナ前は1日の乗降客が20万人超だったJR錦糸町駅・南口から国道14号線を千葉方面に向かって10分ほどの場所に、お店の入り口にはアメリカ国旗がたなびき、デッキにハーレーダビッドソン(以下、H-D)のニューモデルが展示されたハーレーダビッドソン亀戸(以下、H-D亀戸)がある。

取材に伺った日は、ちょうど店頭で新車の箱開け作業の真最中。

コロナ禍の影響で、シンガポールから日本へのH-Dの新車の出荷が滞っていて、
「バックオーダーが6~7カ月分溜まっちゃっています」と説明してくれたのは、H-D亀戸の代表である野間健児さん。

この地でH-Dの店舗をオープンして23年になるが、こんな状況はもちろん初めてだ。

2022年モデルも例年同様に、来年1月に店頭に並べられるか分からないというが、平日にもかかわらず、店頭に置かれた話題のニューモデルであるPan Americaをチェックしにくるお客様がいるなど、地元に根付いたハーレーショップであることが見て取れた。

そして野間さんのもうひとつの顔が、東京のバイクショップの団体である「東京オートバイ協同組合」(以下、AJ東京)の理事長だ。

「安全運転指導から駐車場問題まで、バイクの利用環境を改善して、会員のバイクショップのみなさんが商売をやりやすくなるように活動しています」

とくに駐車場問題は東京の場合、とても深刻で、停められるところがないからバイクを買わず、電動アシスト式自転車を選択する人が多くなっている。

「もうすぐ総選挙ですからね。候補者に駐車場の増設を公約に入れてくれることを依頼しないと」

そんな多忙な毎日を過ごしている野間さんに、ゼロフィニッシュを試していただき、感想をお尋ねした。

ハーレーダビッドソン|HarleyDavidson|亀戸|錦糸町|店頭

「野間くん、ホンダは4輪だよ」との上司の言葉に……

野間さんのバイクとの出会いは、その当時の多くのライダーと同じようにホンダのスーパーカブに乗ったことだった。

1951年に福岡県で生まれた野間さんは、高校生になり新聞配達のアルバイトをはじめ、そこで初めてスーパーカブに触れた。

「自転車と違ってこがなくても進んでくれる。そのうち、近隣をカブでツーリングするようになって、こんな楽しい乗り物を作っている会社に就職しようと思いました」

高校を卒業した野間さんが入社したのは、スーパーカブを製造・販売する本田技研工業。三重県・鈴鹿にあるプレス工場で2年間、エンジン品質課に2年間勤務したのち、1975年から本田技研の名古屋支店・愛知営業所で働くことになる。

営業所には新車が発売されるとセールス活動用にデモ車が納車されるのだが、誰も乗ろうとしない。研究所が作ったマニュアル通りに説明してもお客様には響かないと思った野間さんは、自ら進んでデモ車に乗って、各地で行われていたイベントなどに顔を出していた。

そんなとき、営業所の上司が言った一言が「野間くん、ホンダは4輪だよ」。

2輪の仕事以外するつもりはなかった野間さんは、その営業所に6年間務めたのちに、同じ愛知県の岡崎市に本社があったヤマハオートセンター(現レッドバロン)の社長から、関東に進出するのでウチに来ないかと誘われた。

その頃には、将来は独立して自分でバイクショップを経営したいと思い始めていた野間さんは、少なくても3年は勉強させてもらって、バイクのいろいろな銘柄(メーカー)を覚えようと転職を決意。1979年の秋に埼玉県・大宮に200坪のヤマハオートセンターがオープンし店長に就任。

バイクショップを経営するという、野間さんの第二の人生がここから始まったのである。

最初からバイクを通して「コト」を売ろうとしていた

大宮店の店長を皮切りに、ヤマハオートセンターの店舗や本社で6年間勤務した後、本田技研時代の旧知の仲間が東京・青山のホンダ本社にいて、ちょうどホンダWING店政策がスタートするのでバイクショップをやらないかと声がかかり、東京・町田に「ホンダWING・マップラン」をオープンしたのは1986年。当時のバイク市場は、3年前の83年に328万台超(大半は50ccスクーターだったが)の国内出荷台数を記録していて、時代はまさにバイクブームだった。

東京都町田市|ホンダ|honda

1986年に東京・町田にオープンしたホンダWING・マップラン。店名は、ツーリングには地図がつきものだからだったそうで、当時からお客様を遊ばせる施策を行っていたことが偲ばれる

honda |ホンダ|vfr750r

1987年に発表されたホンダ・VFR750R、通称・RC30を愛車にしていた野間さん。レーシングマシンに保安部品を付けただけのような、当時としてはほかに例のない伝説のバイクだった。価格も、通常のモデルの倍の148万円という超高価でマニア垂涎のバイクだったが、野間さんは長年このバイクでツーリングを楽しんだという

ただし、野間さんはファミリーバイクを主体にしようとは思わなかった。小さいバイクはただの足代わりで、それを売るのに特にノウハウなど必要はない。野間さんは、バイクを楽しもうというツーリング志向のお客様相手にビジネスを展開しようとした。

「スポーツバイクを中心に扱って、バイクを通して『コト』を売ろうと思いました」

いまでこそ当り前だが、当時はまだまだ趣味でバイクに乗る人は一握り。そんな時代から野間さんはモノ売りではなく、コト売りを目指していたのである。

そして、また野間さんに大きな転機が訪れた。

1996年に、H-DジャパンからS1ライトニングという新車が出て、ビューエルショップを展開していくのでやりませんかと声がかかり、H-Dジャパンとビューエル正規ディーラー契約を結び、ビューエルの取り扱いを始めた。

バイクブームだった当時は、バイクショップをオープンしたら国内4メーカーの担当者がやってきて、うちのバイクを置かせてくれと言う。結果、どこでも同じ店ができてしまう。

そんな状況に疑問を持ち始め、さらにWING店でビューエルを扱うのはいかがなものかという声も耳に入り始め、WING店にこだわる必要はないと、看板を下ろしてビューエルに専念することになる。

buell|ハーレーダビッドソン|スポーツスター|ビューエル

H-Dがスポーツスターのエンジンを使用したスポーツモデルのビューエルを本格的に製造・販売することになり、その第一弾モデルがS1 Lightning。独特なメカニズムと乗り味で人気モデルとなったが、ビューエルはのちにリーマンショックの影響でブランド自体が消滅した

それから1年くらい経ち、幕張で開催されていた東京モーターショーの会場で、当時のH-Dジャパン社長の奥井さんから、上野のアメ横でH-Dディーラーをやっていた小川屋さんとの契約が終了するので、城東地区で新しいH-Dディーラーをやってもらえないかという話があった。

銀行の仲介で、現在と同じ国道14号線沿いに店舗となる物件も見つかり、1998年7月1日にH-D正規ディーラーとしてH-D亀戸をオープンした。

当時のH-Dジャパンは、社長の奥井さんの号令の下、H-Dを購入したお客様に楽しんでもらうために、徹底的に「コト売り」を推し進めていた。野間さんはこの政策にも同調し、以来、H-Dビジネスに邁進することになる。

バイクを売るだけではなく、H-Dのあるライフスタイルを提供するのがH-Dワールド。H-D亀戸の店内も、純正のアクセサリーやウエア類が所狭しと展示されている

ハーレーダビッドソン|Harleydavidson|アメリカツーリング

お客様の強い要望もあって、2012年から2年ごとに開催していたアメリカツーリング。2018年の開催を最後にコロナの影響で中断中だが、ぜひ再開したいと考えているそうだ

10年くらい前、シュアラスターはH-Dの純正ワックスでしたね

お店に入ってすぐ左側に鎮座する、話題のモデル・Pan Americaのタンクをゼロフィニッシュで磨きながら、「シュアラスターはなじみ深いです。10年くらい前までは、H-D純正の固形のワックスはシュアラスターでしたから」と野間さん。

ハーレーダビッドソン|HarleyDavidson|亀戸|錦糸町|店内|ゼロフィニッシュ|パンアメリカ

「固形だと、車体にワックスを塗ってから乾いて白くなるまで待ってから磨かないといけませんでしたが、これは吹きかけてすぐに拭けるのがいいですね」

ショップ主催のツーリングなどで、お店の前に多くのH-Dが集まることがあるが、総じてみなさんのバイクはピッカピカ。

「H-D乗りは磨き屋さんが多いです。とにかくピカピカに磨き上げて乗っていますね。ゼロフィニッシュなら、いつでもさっと磨けてコーティング効果も持続するので、磨き屋さんたちにもオススメできますね」

Pan Americaをひとしきり磨いた後は、店内の奥にあるラメ塗装のタンクやマット塗装のバイクのタンクを念入りに磨き始めた。

「とくにマット塗装は、どうやって磨いたらいいのか分からないお客様もいらっしゃるので、気兼ねなくマットにも使えるのはとてもいいですね。H-Dはメッキ部分も多いので、マフラー含めてどこにでも使用できるゼロフィニッシュはとても便利だと思います」

そう言いながら、野間さんは愛用のヘルメットをゼロフィニッシュでピカピカに磨き上げていた。

ハーレーダビッドソン|HarleyDavidson|亀戸|錦糸町|店内|ゼロフィニッシュ|ヘルメット

今年4月、条例改正で江東区に原付2種の駐車場を設置

野間さんは、お客様がH-Dライフを満喫できるように東東京のH-Dディーラー主催のツーリングを年に10回以上開催するなど(昨年、今年はコロナ禍のために中止)「コト」つくりを継続していらっしゃる傍ら、前述のようにAJ東京理事長として使用環境改善、とくに二輪駐車場の設置のために積極的に活動をされている。

今年の4月、その活動が実を結んで、江東区立の自転車駐車場に自動二輪まで駐車可能になった。これは、AJ東京が公明党の区議会/都議会議員に二輪駐車場の必要性を訴えた結果、条例が改正されたのだった。

亀戸|駐車場

「江東区もそうだったように、都内には50㏄以上のバイクを停められる駐車場がひとつもないところがまだあるんです。東京都内のライダーのためにも、この活動は継続していきます。いま問題にしているのが、東京国際フォーラムの駐車場で、地下への入口のスロープの傾斜がきつくて危険だからという理由でバイクが停められない。じゃあ、私どもがテストをして安全性を証明しましょうと言っているのに、都はまったく動かないんです。小池都知事には、顔を合わせるたびにそのことを言っているので、『野間さんはそれしか言わない』と嫌がられていますが、あそこを切り崩せれば、東京における駐車場問題への影響力はとても大きいと思っています」

亀戸|駐車場

東京都の施設である東京国際フォーラムの駐車場。撮影時に係員にバイクはなぜ停められないか聞くと、区画線を引くなどの作業が必要になるから……とのこと。要は、手間がかかる、面倒ということなのだろうが、野間さんはここに何とかバイクが駐車できるようにしたいと考えている

全国各地でのオートバイ神社の設置にも尽力

そしてもうひとつ、最近、野間さんが力を入れているのが全国各地に「オートバイ神社」を設置すること(目標は200カ所)。これは一般社団法人日本二輪車文化協会のなかの「ランドマーク認定部会」の活動で、①ツーリングライダーの拠点となる全国オートバイ神社の認定 ②宗教的な目的ではなく、ツーリング拠点として、地域活性化にも貢献する、というもの。

したがって、神社と言いながらも、本物の神社ではなくてもかまわなくて、バイクが停められる駐車場があり、トイレや飲食のできる場所があるなど、ライダーが訪れて休憩ができるような場所を作ろうというのが目的で、その結果、設置した地域にもライダーが集まることで経済効果が生まれることを想定したものだ。

現在は、第13号の車山高原オートバイ神社(長野県)まで、零号の本社である道開オートバイ神社(東京都)を含め14のオートバイ神社が設置されていて、野間さんは副会長として設置推進に尽力されている。

今後も続々とできる予定のオートバイ神社にご興味を持たれた方は、一般社団法人日本二輪車文化協会のウェブサイトの「ランドマーク認定部会・オートバイ神社」のページ、あるいはFacebookグループの「オートバイ神社漫遊記」(ボクもメンバーです)をご覧になってみて、お近くに、あるいはツーリングルートの途中にオートバイ神社があるようでしたら訪ねてみてはいかがでしょう。

現在、全国に13あるオートバイ神社。ツーリングの目的地として、あるいは休憩場所として活用して欲しいとのこと。写真上は千葉県柏市にある「柏の杜神社」で、下は最も新しく設置された淡路島オートバイ神社

「駐車場の問題の解消も、オートバイ神社の設置も、すべてライダーがよりバイクを楽しめるようにするのが目的です。H-Dビジネスに関しては、H-Dの世界に入ってこられた方が満足してくださって、それを見た新しい人がH-Dの世界に入ってくるというきっかけを作りたいですね。バイクとの出会いから生まれるものを大切にしていきたいです」

この世界に入ってから、一貫してモノよりコトを大切にしてきた野間さん。我々ライダーが、少しずつでも使用環境が改善されて、バイクをより楽しめるようになっている背後には、野間さんのように手弁当で頑張っていらっしゃる方々がいることを忘れてはいけない。

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ゼロフィニッシュ

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ゼロフィニッシュ

取材協力:ハーレーダビッドソン亀戸

東京都江東区亀戸1-43-3
電話:03-5627-3050
営業時間: AM10:00~PM7:00
定休日 : 月曜日/(第3火曜日・10月~2月)
https://www.h-d-kameido.com/

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