「EXECTIVE’S Choice――ゼロフィニッシュだけあればいい!」Vol.10 
PILOTA MOTO代表・辻本 聡さん

横須賀・野比海岸にある県道212号線に面したお店の前にはさえぎるものが一切なく、金田湾が見渡す限り広がり、その湾越しに遥か遠くに房総半島が望める。まさしく絶景のオーシャンビューである。

「この海は地中海で、対岸はニースやモナコなんだよって言っているんです(笑)」

そう話すこのカフェの主は、ヨシムラ、スズキワークスなどでレーシングライダーとして活躍した辻本聡さん。店名の「PILOTA MOTO」(ピロータ・モト)は、イタリア語でバイクレーサーだから、辻本さんが経営するお店にピッタリの名前なのだ。

今回の取材のきっかけは、ひと月ほど前のサーキット秋ヶ瀬。「カフェ耐」(後述)を見学に行って、現場で辻本さんに会ったときにゼロフィニッシュの話をしたら、「シュアラスターのワックス、昔から使っていますよ。ゼロフィニッシュも気になりますね」とのことだったので、取材させてもらうことにしたのだ。

最高峰のクラスで長年レースを戦ってきて、トップレベルのモノをよくご存知の辻本さんは、ゼロフィニッシュをどう感じたのだろうか。

横須賀・金田湾に面したPILOTA MOTO。さえぎるものは何もなく、遠くに房総半島が見える。なるほど、地中海に見えないこともない……。

初参戦したノービス250クラスの初戦で初優勝を飾る!

辻本さんのレーシングライダーとしての経歴は、多くの人が知るところだと思うが、簡単に説明しておこう。

1960年に大阪で生まれ・育った辻本さんが16歳を迎えるころ、時代は70年前半からの第一次バイクブーム。バイクの免許を取得して、信貴生駒スカイライン(現在は二輪通行不可)などを走り回っていたが、高校を卒業した78年に鈴鹿にあるテクニックサービスという会社に入社して、それからレース人生がスタートした。

ホンダの量産車のテストを業務にしていたテクニックサービスには、レーシングライダーを目指す若者が多く集まっていて、モリワキ→ホンダワークスの八代俊二さんや、ヨシムラ時代のチームメイトだった喜多祥介さん(故人)も所属していた。

その会社のレーシングチームである「チームゼロ」からヤマハ・TZ250でノービスクラスに参戦を始めた辻本さんは、81年4月に鈴鹿サーキットで開催された日本GPのノービス250クラスで初参戦・初優勝を飾る。

実はこのレースの予選でポールポジションを獲得した辻本さんだったが、決勝は雨。レインタイヤを持っていなかった辻本さんは参戦をあきらめかけたが、予選落ちした知り合いのライダーからレインタイヤを借りて参戦。スタートして少しして後ろを見たら誰もいなかったというから、トップライダーに成長する片鱗はすでにこの頃から見せていたのだろう。

その1戦の優勝で取得したポイントで翌年は国際B級に昇格。資金不足で満足に戦えない日々が続いたが、84年にアルミフレームやマフラーなど、高いアルミ加工技術を持っていたダイシン工業を知人から紹介されて、ダイシン製アルミフレームにカワサキ・GPz400のエンジンを搭載したバイクでTT-F3に参戦することになった。

レーシングライダーとしての契機になったのは、そのTT-F3用の車体にカワサキ・GPz750のエンジンを積んだバイクで挑戦した、84年の鈴鹿8時間耐久レースだった。

8時間をタイヤ無交換で走り切る作戦を立てた辻本さんチーム(相棒は金田真一さん)、ダンロップのタイヤサービスに行って「タイヤ交換なしで8時間走れるタイヤをください!」と言い、一番硬いタイヤを履いたダイシン号は見事完走・11位入賞。辻本さんはライダーとしての非凡さを多くの人に示したのだった。

そして、この年の国際B級TT-F1クラスで年間ランキング5位となり、翌年、国際A級に昇格することになる。

ピロータモト|PILOTAMOTO|ライダースカフェ|辻本聡

PILOTA MOTOの店内には、辻本さんの現役時代のレーシングスーツ(右は初めてデイトナに挑戦したときのもの)や、数々のイラストが飾られている

ヨシムラ→スズキワークス→am/pmレーシングで最高峰クラスを戦ってきた

国際A級に昇格したのち、知人の紹介でヨシムラに「入社」した。というのも、このときのエースライダーは前述の喜多祥介さんで、辻本さんは第二ライダー。なので、ヨシムラからの期待もそれほど大きくなく、社員として契約してレースのないときは毎日ヨシムラに「出勤」していたのである。

しかし、このヨシムラ入りをきっかけに、レーシングライダーとしての辻本さんは大きく花開いた。参戦初年度の85年シーズン、辻本さんはTT-F1クラスでチャンピオンを獲得、TT-F3クラスもランキング3位に入ったのである。

そして、辻本さんのレース人生を語る上で欠かせないデイトナへの挑戦である。

初めてヨシムラに行って、ポップこと吉村秀雄さんに会った際、「チャンピオンにでもなったら、デイトナに連れて行ってやる」とポップに言われたことが常に辻本さんの頭の中にあったのだ。

日本よりもむしろアメリカ、そしてデイトナで活躍してきたヨシムラからデイトナのレースに参戦できることになり、初参戦のデイトナ200マイルでエディ・ローソン、ウェイン・レイニー、フレッド・マーケル、そして同じヨシムラから参戦したケビン・シュワンツと戦った辻本さんは、一時トップを走りながらも33周目にエンジントラブルでリタイヤ。しかし、このレースがきっかけになり、翌年のAMA(アメリカン・モーターサイクル・アソシエーション)レースへフル参戦することを決めた。

「レイニーも、シュワンツもまだまだ粗削りだったけど、とにかく彼らと一緒に走りたかったんです」

86年に2年連続の全日本TT-F1レースのチャンピオンを獲得した辻本さんは、スズキワークスから全日本選手権のGP500クラスに参戦しないかという話を断り、87年はAMAレースにフル参戦させてもらうことになった。そして初戦のデイトナで見事に2位入賞を果たしたが、続く第2戦は車重が規定より軽かったためにレース前の車検で不合格となり参戦できず、さらに第3戦では前を走るシュワンツが転倒して、そのバイクに乗りあがる形で辻本さんも転倒。首と左足首を骨折する大けがを負い、結局、残りシーズンはアメリカで療養して過ごすこととなった。

SUZUKI|GP500|辻本聡

全日本選手権のTT-F1クラスでチャンピオンを獲得。ポップが約束してくれたデイトナに挑戦し、翌年からのAMAフル参戦を決意した。ゼッケン604は、そのフル参戦した際のナンバーだ。

帰国して翌88年からは、当時の日本最高峰クラスのGP500クラスにスズキ・RGV-Γで参戦。スズキワークスで4年間戦ったのち、92年は自らのチームを結成してホンダ・NSR500でGP500クラスに参戦し、2シーズン戦ったのちに引退してホンダのレーシングマシンの開発テストライダーを務めるようになる。

88年からは、シックアドバンテージ・スズキでGP500クラスにRGV-Γで参戦(写真上)。4年間スズキワークスで走ったのち、92年からは2年間自らのチームam/pmレーシングでホンダ・NSR500でGP500クラスを戦った(写真下)。

「その当時のホンダのモータースポーツの責任者の方が、二輪のレーシングライダーがリタイヤした後に、四輪のレースに出られるようにレールを敷く方針を立ててくださっていて、98年に『ギャザス・ドライダー・シビック』でスーパー耐久シリーズに参戦して、第5戦の十勝24時間レースで優勝候補の日産・GTRなどを破り優勝(スーパー耐久車両・総合でも4位)して、スーパー耐久-ST4クラスの年間チャンピオンも取りました」

HONDA|civic|スーパー耐久|レース|ドライバー

ライダー+ドライバーを意味する「ドライダー」という名前で参戦したスーパー耐久レースでは、見事に年間チャンピオンを獲得した。このシビックは、往年のF1マシンと並んでツインリンクもてぎのコレクションホールにも展示されていた。

バイクだけではなく、クルマでもその才能を遺憾なく発揮してきた辻本さんだが、昨年まで務めていたベビーフェイスレーシングの監督も辞め、現在、レースにかかわる仕事は日テレG+のMotoGPレースの解説のみとなっている。

日テレG|MotoGP|レース解説

1999年に日本TVがMotoGPのTV放映を開始した時から務めている解説者を今も続けているが、最近は上手に話をできるライダーが増えてきたため、若手をどんどん起用するようにアドバイスするなどコーディネーター的な役割もしているという。

「昔、バイクブームだった頃は、レースがあるからバイクが売れてるんだと思っていたけど、それは逆で、バイクが売れていたからレースも盛り上がっていたんですね。だから、コロナの影響もあってバイクが売れているいま、どうやってライダーを減らさず、増やせるようにケアできるかが大事なんだと思うんです」

華やかなレースの世界のど真ん中に長年いらっしゃった辻本さんならではの、いまのバイクブームとレース不人気の間をどうにかして取り持ちたいとお考えのようなのだ。

耐熱温度も高いし、どこにでも使えるのがいいね

前日したように、シュアラスターのワックスや水垢取りを、めちゃくちゃ高いなぁと思った20歳くらいの頃から使い続けている辻本さん。ただ、バイクには水を掛けたくないからあまり洗車をしないそうで、ゼロフィニッシュなら水なしで汚れ落としとコーティングができると聞くと俄然、興味が沸いてきたようだ。

ヨシムラの集合マフラーが装着された油冷のスズキ・GSX-R750(辻本さんがチャンピオンになった際のベースマシンで、現在の愛車)

ピロータモト|PILOTAMOTO|ゼロフィニッシュ|ヘルメット

「水を使わずにきれいになるのはいいね。耐熱温度が高いからマフラーにも使えるし、ヘルメットにも使えてとっても便利だと思います」

お店の横に停めていた愛車のゴルフにも試してもらった。

「さすがにこんなに水垢が付いていたら、ゼロフィニッシュだけじゃダメでしたが、シュアラスターのスピリット・クリーナーで水垢を取ったあとにゼロフィニッシュで仕上げたらピカピカになりました。一度キレイにしておけば、次からはゼロフィニッシュだけでいけますね」

ゼロフィニッシュ|ワーゲン|ゴルフ

辻本さんが経営しているから、PILOTA MOTOには大勢のライダーが集まってくる。

そんなお客さんにも薦められるし、無臭だから店内でヘルメットを磨くのに使ってもらってもいいですねと辻本さん。

「バイクをキレイに保つことは、バイクのトラブルなどを未然に防ぐことにもつながります。磨いているとオイル染みとか、小さなトラブルも発見できますからね」

辻本さんファンの間でゼロフィニッシュが流行るのは間違いないだろう。

4月に初開催した「カフェ耐」を主催。秋には第2回目を計画中だ

「50歳のときにロードバイクにハマって、あちこち走りに行っていたんですが、みんな高価なバイクに乗っているのに、それに釣り合うような自転車で行って落ち着いて楽しめるようなオシャレなカフェがない。じゃあ、自分でやろうとこの店を始めたんです」

ロードバイク

50歳のときにハマったロードバイクがPILOTA MOTOを出店するきっかけになった

カフェメニュー|PILOTAMOTO|ピロータモト

ひとりで店を切り盛りする辻本さん。フードメニューもすべて辻本さんのお手製だ。昨年まで監督を務めていたベビーフェイスレーシングチームのステップや、お店のステッカーも飾られていた。

2014年にスタートした最初の頃こそ自転車乗りが来ていたが、次第にライダーのお客さんが中心に。そうなると、当然、バイクやレースの話で盛り上がり、元ホンダワークスライダーの青木拓磨さんが主催する「レン耐!」(正式名称はLet’s レンタルバイク耐久レース)に出て、優勝トロフィーをゲットしてくるお客さんが現れ、辻本さん自身も出場するようになった。

「なかなか勝てなくてね~。勝つまでに1年かかりました。レン耐! は装具だけ持ってサーキットに行けば、バイクが用意されていてレースに出られる。まるでワークスライダーみたいじゃない」

レースをするようには見えない人でも、仲間と組んで楽しみながらレースに出られる。そういう、底辺からレースに興味を持ってもらう取り組みを積極的にしなくちゃダメと辻本さん。

今年の4月6日、埼玉県のサーキット秋ヶ瀬で辻本さんが主催して、ライダーズカフェチームの対抗戦である「カフェ耐」が初開催された。初めてにもかかわらず、当日は10店舗のチームが参戦。およそ140人ほどの老若男女ライダーが熱戦を繰り広げた。

カフェ耐主催者の辻本さんもレースに出場した(写真上)。当日は、初開催にもかかわらずライダーズカフェ10店が参加。平日にもかかわらず、ライダー+ギャラリーでこんなにたくさんの人がサーキット秋ヶ瀬に集まった。写真中央が辻本さんで、その左隣が青木拓磨さん(写真下)。

すでに、次戦では初心者クラスだけのレースも組み込もうとか、地方でも開催したいなど、さまざまな構想が沸き始めているという。

「まあ、いい歳になるまで自分にはサーキットしかなかったけど、ここで店をやっているといろいろな人がやって来ます。自分ではお客さんを選べませんから、世の中にはいろんな人がいて、いろんな世界があることを知り、それを受け入れられるようにもなりました」

バイクの楽しさも、そしてバイクの危なさも、身をもって経験してきた辻本さんだからこそ、店に来るさまざまなライダーたちにいろいろな話やアドバイスができ、それがきっかけになってバイクの楽しみ方や付き合い方もどんどん広がっていくことだろう。

カフェ耐もバイクの楽しさを広げるために企画したもので、いま日本のあちこちにあるライダーズカフェの店主さん同士がこういうイベントでつながることで、ライダーズカフェの間に連帯感が生まれて、例えばPILOTA MOTOの常連ライダーが北海道や九州などにツーリングに行った際にその土地のライダーズカフェに気軽に寄れて、歓迎してもらえるようになることを目指している。

「ライダーズカフェ協会みたいなのを作って、もっと盛り上がるようにして、バイク界に貢献したいですね。カフェ耐に出てもらうことも、安全運転につながると思うんです。レン耐! をやるようなコースはどこも1周1分以内の短いコースだから、何度もしっかりブレーキを掛けなきゃいけないし、ラインを考えながら周回しないといけない。そうやってサーキットを走ると、公道でも考えながら走るようになって、むやみに飛ばさなくなるんですよ。拓磨が頑張っているから、ボクも協力してもっと盛り上げていきたいですね」

バイクに乗っている方は(もちろん、乗っていなくてもいいですが)、ぜひ一度、PILOTA MOTOを訪れてみて欲しい。辻本さんの作る料理を味わうのもよし、バイクの話で盛り上がるでもよし、そしてなにより眼前に広がる素晴らしい景観を味わうだけでも行く価値は十分ある。

シュアラスター|ゼロフィニッシュ

Photo/Shigeru Tokunaga

記事で紹介されたアイテム

商品詳細はこちら
ゼロフィニッシュ
マイクロファイバークロス

取材協力

PILOTA MOTO(ピロータ・モト)
神奈川県横須賀市野比5丁目6−39
TEL 046-847-0563
営業時間:11:00~17:00
定休日:不定休(営業日は下記Facebookに掲載)
https://www.facebook.com/PILOTA-MOTO-516484538407498/
https://moto604.official.ec/(MOTO604のオリジナルグッズ通販ページ)

関連記事

関連記事一覧

  • コメント ( 0 )

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。