「EXECTIVE’S Choice—ゼロフィニッシュだけあればいい!」Vol.1
KAWASAKI PLAZA 東京練馬 代表・藤木修次さん

東京・新目白通りの関越自動車道入り口の手前、ちょうど三角州になっている土地に聳え立つブラックアウトされた4階建てのビル。

バイクやクルマで関越自動車道を利用される方なら一度は通ったことがあるであろう、交通の要所と言える場所に建つのがMSLビルだ。

現在は、カワサキのプラザ店展開の政策にのっとって「KAWASAKI PLAZA 東京練馬」として都内近郊のカワサキファンのためのフラッグシップ店の役割を果たしているが、代表の藤木修次さんがこの地にバイクショップを出店したのは今から30数年前、ホンダとヤマハのシェア争い・HY戦争に始まる1980年~1990年代のバイクブームの頃だった。

1984年に独立して以来、40年近く、バイク販売のプロフェッショナルとして常に前線で働いてきた藤木さんにゼロフィニッシュを体験していただいた。

Kawasaki|カワサキプラザ東京練馬|店頭

ロード、モトクロス、トライアル、すべてのレースにチャレンジ

1955年、兵庫県に生まれた藤木さんは、バイクに乗っていた父親の影響もあって、また当時の若者の例に漏れず、16歳になるとバイクの免許を取得して、夜な夜なライダーのメッカである六甲山に通うようになった。

まだまだおおらかな時代だったから、六甲山にはただの走り屋だけではなく、練習をするレーシングライダーの姿も見受けられたという。そのなかには、あの片山敬済さんや木の実レーシングの毛利良一さんの姿もあったというから、まさに公道サーキットのような様相だったのだろう。

そんな環境でバイクを楽しんでいた藤木少年は、自然とサーキットに向かうことになる。

プライベートで鈴鹿や中山サーキットで開催されていたプロダクションレースに参戦するようになり、カワサキのZ2やKH400C3をレース仕様にしたマシンで戦っていた藤木さんは、何度も表彰台に上がるほどの実力だったそうだ。また、1978年に開催された第一回目の鈴鹿8時間耐久レースにもZ1で参戦したというから(残念ながら予選落ちだった)、そののめり込みようは半端ではなかったはずだ。

ロードレースからモトクロス、トライアルまでバイクを使うモータースポーツにはすべてチャレンジした藤木さん。表彰台の常連でもあり、数々のトロフィーがそれを示している

プロ手前のジュニアまで昇格したロードレース、さらには同じくジュニアになったモトクロス、そして少々かじっただけというトライアルと、バイクを使うモータースポーツをすべて体験した藤木さんは、これ以上レースを続けて命を危険にさらすのは止めようと決断して、ロードレースの世界からきっぱりと足を洗って、高校卒業後の進路を真剣に考え始めた。

大学に進学するか、それとも就職するか。

迷いに迷った末に、地元にあった川崎重工業(以下KHI)へ進む道を選択した。ホンダやトヨタも就職試験には合格したが、やはり根っからのバイク好きの血がKHIを選ばせたのだろう。そして、この選択が、その後の藤木さんの人生を決めることになったことは、当時の彼にはまったく想像もできなかったはずだ。

実験ライダーとしてカワサキ車のテストも行った

KHIに入社した藤木さんが配属されたのは品質保証部・品質管理課。完成車の最終検査を行う係だ。藤木さんはとても厳密にその職務を果たしていたそうで、当時の人気モデルだったZ1Rを何度も不合格にした思い出があるという。

先ほども書いたが、当時はまだまだおおらかな時代で、走りに自信があった藤木さんは、一般社員だったにもかかわらずカワサキのニューモデルの開発にテストライダーとして駆り出されることもあったという。当時は、茨城県の谷田部にあった日本自動車研究所のテストコースをはじめ、一般道、高速道路、そして耐久テストまで経験。そのバイクに対する鋭い洞察力や高い技術力を見込まれ、当時のカワサキオートバイ販売、現カワサキモータースジャパン(以下、KMJ)の東京営業所・技術指導課に転勤となり、バイクの不具合の対策やリコールへの対応、販売店からのクレームなどをKHIに伝えるという重責を担う関東エリアの責任者に就任して、カワサキのバイクの品質向上に取り組む毎日が始まった。

ちなみに、現在もあるカワサキ3級二輪自動車整備士という資格は、その当時、藤木さんが作ったものだそうだ。

すぐにピカピカになる。展示車にもこれはいいね!

「私のNinja SX SEは、カスタムをしていてもう1年くらい手元にないんだよね。スーパーツアラーにしようと思っていて、ナビやレーダーを取付けるためのアルミ削り出しのハンドルブリッジや、幅が薄いハーフパニアケース、エンジンの熱がライダーに伝わらないようにするカーボン製の遮熱版とか、いろいろ私が発案したオリジナルのパーツを作ってもらっているんですよ」

そう言いながら、レンタル車両のNinja H2カーボンをゼロフィニッシュで磨き始めた藤木さん。

Kawasaki|カワサキプラザ東京練馬|ゼロフィニッシュ|施工|洗車|コーティング|KawasakiH2

「磨いた感触はとてもいいね。スプレーしたあと、すごく滑らかにスッスッと磨けるから手軽で簡単。梨地にもいい。マイクロファイバークロスも使いやすいね」

Ninja H2のカウルやスクリーンを磨いたあと、ディスプレイされていたW800のところに移動した藤木さん。

「W800のメッキマフラーにも使える。磨いた後の光沢も強めだし、簡単にガラスコーティングできるから、ショールームの展示車を常にピカピカにしておくのに使えますよ」

Kawasaki|カワサキプラザ東京練馬|ゼロフィニッシュ|施工|洗車|コーティング|KawasakiH2

お客様にも勧められますか?

「ウチで新車を購入されたお客様には、ツーリングから帰ったらこのゼロフィニッシュでスクリーンやボディを磨いておけば、いつまでも新車の輝きが維持できますよとオススメできますね。ゼロフィニッシュでコーティングしておけば、次にツーリングに行ったときもスクリーンに虫などが付きにくくて、帰った後の掃除も簡単だからね」

KAWASAKI PLAZA東京練馬の代表として超多忙な毎日を過ごしている藤木さん、ご自分でバイクを磨くことは滅多にないそうだが、短時間ですぐに美しい光沢を放ち、その輝きをキープしてくれるゼロフィニッシュをとても気に入ってくださったようだ。

カスタムされたご自身のNinja H2 SX SEが完成したら、ぜひゼロフィニッシュでいつまでも輝きを維持していただきたいものだ。

Kawasaki|カワサキプラザ東京練馬|ゼロフィニッシュ|対談

筆者・Nomと藤木さんの付き合いは長く、Nomが内外出版社発行の「BiG MACHINE」(現在は休刊)の編集長を務めていた90年代~2000年代、毎月のように藤木さんのショップから試乗用の逆輸入車をお借りしていた。藤木さんは当時とまったく変わらず、バイクのこと、お店のこと、そしてゼロフィニッシュについて熱っぽく語ってくれた

1984年に独立。カワサキのトップ販売店に上り詰める

技術指導課に勤務しているとき、会社の先輩が独立してバイクショップをオープンし、藤木さんはそのお店にメカニックとして出向することになった。

1年ほど経つとお店を任されるようになり、当時のバイクマーケットの主力商品だがカワサキはラインナップしていなかったスクーターの講習会にも参加。そして、スクーターの修理もできるようになった藤木さんは独立してもやっていけるだろうと思い、自分のお店を持つことを決意した。29歳のときだった。

1984年、東京・練馬区の豊玉中に建てた、藤木さんの記念すべき第一号店の名前は「MSLプレリュード」。

Kawasaki|カワサキプラザ東京練馬|プレリュード|MSL

MSLはモータースポーツライフの略で、単にバイクを販売するだけではなく、お客様と一緒にモータースポーツを楽しもうということをコンセプトに掲げていた。

今でこそモータースポーツやバイクライフという言葉は一般的だが、当時はまだそんな言葉は浸透していなくて、多くの人にとってバイクは一過性の趣味で、生涯をかけて楽しむものだと考える人はごくごくわずかだった。そんな時代に、ライフという言葉を店名に付けた藤木さんは先見の明があったと言わざるを得ない。

そして、プレリュードというのは当時ホンダが発売したクルマと同じ名前で、東京の奥多摩で撮影された霧の中からクルマが現れてくるプレリュードのTVCMがとても印象的だったことと、日本語で前奏曲という言葉も、独立して事業を展開していくことを決めた自分のお店にふさわしいと藤木さんは思ったのだという。

しかし、この名前のせいで、ホンダの店じゃないかと古巣のカワサキに言われて、しばらくカワサキの看板を上げさせてもらえなかったそうだ。数年後にカワサキのトップディーラーになるMSLとしては、ちょっぴり苦いスタートだったのだ。

矢継ぎ早にショップを出店。4輪ディーラーまで展開した

MSLプレリュードを出店した当時は、まさにバイクブーム真っ盛りで、ホンダとヤマハが激しくシェア争いをしたHY戦争が繰り広げられた直後だった。前々年の1982年には、328万台という過去最高の販売台数を記録するほど、50㏄スクーターを中心にバイクが飛ぶように売れていた。

そんな状況の中、藤木さんは矢継ぎ早にバイクショップを出店した。

プレリュードを出店した翌年には、早くも高田馬場にカワサキ専門店の「MSLスクエア」を、その翌年には環状7号線沿いの羽沢におしゃれな中古車ショップの「アベニュー」、そして7年目の1991年、現在の東京・練馬の地にカワサキのジェットスキー+バイクを販売する「グライドオン」というショップをオープン。

さらにその2年後、現在と同じ姿のMSLビルを建設。1階にはマツダのクルマを扱う「オートザム谷原」とイタリア車のランチアのディーラー、2階では国内4メーカーの逆輸入車やビモータ、ハーレーを扱い、3階はカワサキ、ヤマハのジェットスキーやスノーモビル、さらにはボートやパラグライダーなどまで扱うショップをオープン。

まさに、陸海空のすべての乗り物を扱い、お客様にモータースポーツライフの楽しさを提供する複合ショップとしたのであった。

東京練馬区の現在の場所に完成した4階建てのMSLビル。陸海空のあらゆる乗り物を扱う複合ショップだった。特に強かったのは逆輸入車で、写真のカワサキ・ZZ-R1100は飛ぶように売れたという

なかでも力を入れていたのは逆輸入車で、1996年に二輪の大型免許が教習所で取得できるようになると、空前のビッグバイクブームが訪れた。そして、自社で海外から逆輸入車を仕入れていたMSLは、他店が逆輸入車の値付けをする際に参考にするほど、市場をリードする存在となっていった。

プレリュードをオープンしてから10年後くらいには年間700台以上のカワサキ車を販売するトップディーラーに成長したMSLは、バイクを販売するだけでなく、イベントも積極的に開催したし、独自のカスタム車両の開発や販売にも力を入れた。当時の逆輸入車の人気ナンバー1マシンだった、カワサキ・ZZ-R1100ベースのカスタムモデル「AFTI」を記憶されている方も多いのではないだろうか。

その後も、練馬区の中村橋に敷地300坪という巨大ショップの「MSLプラザ」を出店するなど、藤木さんの精力的な活動が続くのだが、すべてを書いていると際限がないので、ここで現在にワープすることにする。

2016年、「カワサキプラザ」構想がスタートした

そして90年代後半には、都内各所にあったショップをここ谷原にすべて集約し、国産車、逆輸入車、そしてハーレーダビッドソンとBuellなどを扱う総合バイク専門店の「MSLゼファー」をオープン。以来変わらず、カワサキ車のトップディーラーの地位を守っていたが、2016年末にカワサキが新たな専売店政策の「プラザ構想」を発表。2020年4月からは、プラザ店以外はカワサキの400cc以上の車種は扱えないというある意味ドラスティックな政策だった。

カワサキのトップディーラーでありながらも、独自のカスタム車両の開発・販売や、国内では販売されていないカワサキの小排気量車を輸入・販売するなど、メーカー主導の枠に収まりきらない幅広いビジネスを展開していた藤木さんは、すぐにプラザ店になることを躊躇した。

しかし、カワサキ車のトップディーラーであることの誇りと、たくさんのカワサキファンに支えられてきた責任から、2019年10月に「KAWASAKI PLAZA 東京・練馬」をオープン。カワサキのフラッグシップ店として、カワサキファンの期待に応え続けている。

一定のルールの下、運営されるのが基本のプラザ店だが、藤木さんはその枠内でも独自にお客様に楽しんでもらうことを精一杯考え、活動している。

「たとえば、新車を納車するときに、お客様の体格に合わせてレバー位置やサスペンションの調整をするのは当然のことですよね。乗りやすくすることで、もっとバイクが好きになってくれるはずですから」

そして最近は、モータースポーツにもさらに力を入れている。

「Ninja ZX-25Rのワンメイクレースである『Ninja Team Green Cup』に出場する方、出場したいと思っている方を積極的にサポートしています。昔からレースには積極的に参戦していて、ZRX750や400で全日本選手権にも参戦していた経験とノウハウがありますからね。将来的には、この『Ninja Team Green Cup』に参戦したライダーが全日本選手権を戦うようになってくれることを願って頑張っています」

また、カワサキやホンダのマシンで活躍した元レーシングライダーの鶴田竜二さんが主宰するTRIC STARが今年の5月3日に茨城県の日本自動車研究所テストコースで開催した、自分のバイクで時速300㎞を体験しようという「超MAX SPEED走行会」も積極的にバックアップ。

カワサキ・Ninja ZX-25Rのワンメイクレースである「Ninja Team Green Cup」にも積極的に参戦。時速300㎞を自分のバイクで安全に体験しようという「超MAX SPEED」。300㎞オーバーの最高速を標榜するNinja H2のオーナーにはたまらないイベントだ

「やっぱり、スロットル全開で走るのはバイクの醍醐味を味わうことのひとつ。安全なテストコースでフルスロットルを一度体験して欲しいです。カワサキには時速300㎞を出せるNinja H2もありますからね。7月に第2回を開催する予定なので、ぜひ参加していただきたい。ウチで参加受付もしています」

あと2~3年したら引退するつもりという藤木さんだが、引退後もバイクのシェアリングビジネスやバイクを使ったさまざまな遊び方の提案、そしてバイクミュージアムを設立する夢を実現したいと言う。藤木さんがバイクに、そしてモータースポーツにかける熱い思いはまだまだ激しく燃え盛り続けるに違いない。

本文では触れられなかったが、藤木さんがいま力を入れているのが臓器移植の啓蒙活動であるグリーンリボンライダーキャンペーン。つくばサーキットで開催されたJP250クラスに出場した梶山知輝選手をサポートするなど、社会貢献活動を通してバイクのイメージアップを図ろうと努力されている

PHOTO:徳永茂/KAWASAKI PLAZA東京練馬/Nom

取材協力:KAWASAKI PLAZA 東京練馬

Kawasaki|カワサキプラザ東京練馬|店内

東京都練馬区谷原5-32-1
電話:03-3867-2194
営業時間:10:00~19:00
サービス受付:~18:30
定休日:毎週水曜日、第1・3火曜日
https://www.kawasaki-plaza.net/tokyonerima/

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