
真夏日に行われたヒストリックカーレースに参加!-FESTIVAL of SIDEWAY TROPHY-Vol.01
ヒストリックカーレースを楽しむ!
<クルマを使った楽しみ方はいろいろ>
さて、クルマを使った遊びはさまざま。それはワタクシが趣味としているヒストリックカーも同様です。日常使いから、ツーリングなどから、展示イベントや走行イベントなど参加型のものまで多種多様にイベントは行われています。
そのなかでも、ワタクシ、ながく続けているのが“ヒストリックカーレース“といわれる、クローズドされたコースでの周回レースです。自分の愛車と同世代のライバルたちとの競争は、自分が当時のドライバーになりきり、ライバルマシンたちとの競争も、まるで新車当時に愛車たちが現役当時だったころにタイムスリップしたかのような感覚です。追い越したり、追い抜かれるのもまた楽しさを感じ、愛車が花形だった現役時代へのオマージュでもあります。
ヒストリックカーでのレースは、各団体により、全国各地で行われております。現在、ワタクシが参加しているのは、千葉県にある袖ヶ浦フォレストレースウェイにて春と秋の年間2回開催されている“FESTIVAL of SIDEWAY TROPHY”(以下FoST)という、主に1960年代前後のヒストリックカーたちによるイベントです。
このヒストリックカーの祭典、“FoST”ですが、以前は、ほかのイベントのなかの一枠を借りてのレースでしたが、現在は、スポーツカーやサルーンカーといったマシンの形態によるクラス分けと、4輪車のみならず、モーターサイクルや3輪のサイドカーまでのレースが行われる、1日イベントとして今回で7年目の開催となりました。
この世界に憧れ、友人3人と共同で購入した1969年製のフォード・エスコートMk1を、レースカーに仕立て、ヒストリックカーレースへの参戦をはじめたのは、1996年、27歳の時でした。

<現在はさまざまな団体がレースを開催>
当時はJAFの主催する公認レースが主でしたので、国内A級ライセンスを保持者していないと、“ヨーイどん!”ができませんでしたが、現在は非公認のレースも多く、この“FoST”もライセンスは不要となっております。非公認のものは、レース形式の走行会というのが正しい解釈だと思います。 その後、友人たちとのチーム解消後は、レース活動も休止し、エスコートも冬眠させていましたが、その後、エスコートはワタクシが引き取り、2003年に痛んでいたボディを修復し、ワンデイイベントの前身となる“サイドウェイトロフィー”が始まったので、このフォード・エスコートで、またサーキットを楽しむことになったのです。
<SIDEWAY TROPHYの使用タイヤはDUNLOP CR65に限定>
<サーキット用のマシンの変遷>
その後、自分と同じ年の1969年のフォード・マスタングBOSS302での参加を楽しんだ後に、“FoST”とワンデイのイベントとなってからは、それまで混走していたスポーツカーとサルーンカーが分別しての走行となってからは1967年製のミニ・マーコスというマシンにスイッチ。スポーツカーのクラス“EVERGREEN CUP”へ出場し、1300cc以下のクラスでは数回表彰台に上がるというラッキーもあった約10年間でした。
1969年にSCCAトランザムレース制覇を目指し、ホモロゲーション取得のために、わずか約1500台しか作られなかったFORD MUSTAG BOSS 302。思い出深いかつての所有車です。
1967年のミニ・マーコス。1966年のル・マンで唯一24時間を走りきった英国車として、ご存知のかたもいるのではないでしょうか。現在はエンジンをリフレッシュし、倉庫にしまいこんであります。
<現在のサーキット用のマシンは段付きアルファ>
そんなワタクシの現在のレースカーは1968年製アルファロメオ1600GTV。“段付き”と言われるフロントノーズとボンネットに段差のあるデザインが特徴的なモデルです。これを当時、レースシーンを席巻したGTAというホモロゲーションモデルへとモデファイしたマシンを2年ほど前に入手。
なぜ、アルファロメオかというと、同じレースをロータス・コルチナで楽しんでいる友人がいます。そしてアルファロメオは当時のライバル。運良く、レース仕様となった車両とも巡り会えたので、その時代に成りきり、追いかけっこができたら楽しいだろうなという単純な遊び心からマシン決定です(笑)。 好きな時代の好きな車で遊ぶというのも、ヒストリックカーレースの楽しみ方のひとつですね。


<レースにエントリーし、出走車の整備を開始>
今年春の“FOST”は5月26日の開催、この時期は自動車重量税の支払いなどあり、いつも以上にお金がピンチです。いつもギリギリになってしまうのですが、今回は頑張って、スプリントレースと耐久レースの2つのレースにエントリーしました。 出走が決まるとなると、しっかりとマシンの整備をしなくてはいけません。
まずは事前に、ブレーキ周りなど保安部品は、プロにお願いします。小平市にあるアルファロメオ専門店「ガレージ33」代表の千葉氏がフルード交換、パッドチェックなどを行ってくれました。

そして、レースまで2週間という日に、耐久レースでコンビを組むパートナーは、この趣味をはじめたから、もう25年の長い付き合い奥平くん。この日は、彼も手伝ってくれた、ボルトナット類の増し締めやクラックなどがないかを入念に確認、油脂類などの交換を行いました。今回は前オーナーから引き継いだゼッケン61を使用していましたが、僕のフェイヴァリットナンバー、14に交換。そして、最後は忘れずに、マスターワークスで磨きあげます。
妻のドライヤーをコッソリ借りてきましたw オイルはリキモリの鉱物油を使っています 仕上げはマスターワークスで!
このアルファロメオはナンバー無しのレーシングカーなので、公道の走行はできません。サーキットには奥平さん所有の車載トレーラーでの搬入となります。

<サーキットには本物のル・マン24Hレース出場車も!>
そして“FoST”当日です。日本全国より同好の仲間達が、ここ袖ヶ浦フォレストレースウェイに集まっています。ピットでは、すでに今日の気温に合わせて最終チェックをするライバルたち。
ピットでは当時ぽい雰囲気のサインで気分を盛り上げてくれます 2輪も続々と搬入されてきます Lotus 26R、そしてHealey3000 イベントを盛り上げてくれるサーキットの華たち! 当時の雰囲気のコスプレはやったもの勝ち、出走者だけでなく誰もが楽しめる1日です DUCATI乗りのミッチも当時風にオシャレを楽しみます 愛知県のフライングスコットが持ち込んだGINETTA G15は、女性ドライバー、アリソン・デイビスがチャンピオンを獲得したそのもの。 1963年のル・マン24時間耐久レース出場のALPINE M63も参戦!
そしてエントラントは、ドライバーズブリーフィングと呼ばれる当日のコースのコンディションや、走行上での諸注意事項などの再確認を行います。
リスクの高いスポーツです、みなさん真剣な表情で注意点を確認しています。 サーキットの責任者山梨氏より、ポストで提示される各フラッグの説明を受けます。
<いよいよ開会式>

大会開始を告げるのは、バグパイプ奏者カラムさんの演奏。いつも、このイベントの為に京都から駆けつけてくれます。バグパイプの奏でる音色に、エントラントたちは大会本部前へと集まってきます。そして、この日の大会委員長 金子温氏の挨拶で、1日のプログラムが開始されます。この日の場内放送は、F-1をはじめ国内外のレース実況や、雑誌Tipoではナカジーの相性でお馴染み中島秀之さんです 。
アナウンサーは雑誌Tipoでもおなじみナカジーこと中島秀之氏 走るオーガナイザー金子温氏、この日は2つのレースにもエントリーして大忙し スタート時や表彰のサポートをしてくれるグリッドレディたち
<それぞれのクラスごとにコースイン、完熟走行に続き予選スタート>
2輪車からコースインし、完熟走行を行い、その後にスタートポジションを決める予選開始です。このイベントでは、ニーラーと呼ばれるサイドカーのレースも見どころのひとつです。このようにライダーとパッセンジャーが一心同体となったコーナリング姿勢で駆け抜けていきます。
164 Ducati Mk1 1938 Velocette KTT MkⅢ 戦前1929年製Verocette KTT Mk1 YAMAHA FS1 、1965 MOTOBI 1964 Bridgestone 90 改 BS90 Lily & GordonⅡ コーナリングはこういう姿勢で! 2人の息がぴったり合っていないと曲がらないそうです。 僕らのチームです
いよいよ4輪車の完熟走行がはじまります。このSIDEWY TROPHYは順位やラップタイムだけにとらわれず、現役当時の雰囲気を楽しもうというスローガン。参加車両たちが使用するタイヤは当時と同じくDUNLOP CR65というバイアスレーシングタイヤとなっております。我が国では少ないのですが、本場英国でのFIA格式のヒストリックカーレースでの、このタイヤの使用は常識となっています。 はじめての、バイアスレーシングタイヤに、緊張気味のパートナー奥平くん、コースインします。

快音を奏でコースインするマシンたちに、少し遅れてコースに飛び出した奥ちゃん。おとなしく周回したのは1周目まで(笑)。さっきの緊張はどこへやら?(笑)。2周目からのコーナリングはテールスライド、カウンターを当てての走行です。現在ではタイムも落ちるというドリフト走行ですが、この時代のレースでは、こうしたクルマの動きが当たり前でした。うん、パートナーのナイスな走り、心強いですね!
1963 Alpine M63 1969 Porsche 911 1966 Hilman Imp 1964 Jaguar MkⅡ 1965 Austin Mini 1968 Alfaromeo Giulia Sprint Veloce
<SEBRING 40m TROPHY>
変則のル・マン式スタートによりレース開始 窓越しにタッチを受けてエンジン始動、全車両1コーナーへ。 1周目の4コーナー、態勢を崩したポルシェを避ける我々のジュリア
プログラム通りにレースが進行していきます。いよいよ我々の出番、セブリング40分の耐久レースです。このレースは2人で40分を走りきるというもの。40分で耐久なんて短いね〜と思われる方もいらっしゃると思いますが、なにしろ50年以上前のクルマたちです、大目にみてくださいね(笑)。そして、ル・マンに習って、コースに1列に並べたマシンたちの反対側から、セカンドドライバーが、窓越しにドライバーとタッチ。エンジン始動しスタートしていくというスタート方法です。ワタクシ、突然走り出す愛犬に慣れているので、スタートダッシュは得意です。日章旗が振り下ろされダッシュします。いい感じでタッチ。そしてジュリアはスタート。各車団子状態で1コーナーへとなだれ込みます。すでに1コーナーで4番手にいる我わらのジュリア、幸先いいですね〜!そして、4コーナーのヘアピンで先行しているポルシェ911が姿勢を乱し、続くヒーリー3000が、それに引っかかったチャンスに、2番手にジャンプアップ。独走のライトウェイトのジャガーEタイプに続き、周回します。そこへ排気量の勝るヒーリー3000が迫ります。ドライバーはベテランの戸塚さん、関口さん組です。2位のポジションをキープしていた奥ちゃんですが、7周目に差しかかるホームストレートで先行されます。後ろから迫ってくるミニクーパーも不気味な存在ですが、3番手をキープし1秒以上のタイム差をつけたまま周回を重ねます。
ワタクシは次にスプリントレースが控えているのと、パートナー奥ちゃんのほうが速いタイムなので、なるべく多くの周回をするという作戦に出た我々。安定したペースで走行しているパートナーですが、この週末は真夏日。気温は32度を超えています。周りのチームも、そろそろドライバーチェンジのために、各ピット慌ただしくなっています。そして我々も14周目にピットインのサインを出します。
チームメイトの奥平くん、3番手をキープしながら快走 1963 Austin Healey 3000MkⅡ ピットは交代のために騒がしくなってきております 20分を過ぎた頃、ライバルたちもドライバーチェンジ 各チーム、緊張の表情ですね ピットストップ、ドライバーチェンジします 相棒の奥ちゃん、30分近くの走行でフラフラです ドライバー交代中にナットを増し締めします 相棒の力走で現在3位、ワタクシ、ラストスパート ミスしないよう慎重に残り周回を走ります
そして、バトンを受け継いだワタクシもコースイン。暑さもあり集中力が途切れたのかミスするライバルもいるなか、なんとか、3番手をキープし7周を走行します。そしてメインストレートでチェッカーフラッグが振られ、40分のレースが終了。 3番手でフィニッシュラインを通過することができました!そして、メインストレートにマシンを並べて暫定表彰式が行われます。優勝はトップから、そのまま独走だったジャガーEタイプの安藤さん、大喜多さん組。2位はヒーリー3000の戸塚さん、関口さん組に続き、アルファロメオ・スプリント・ベローチェ、奧村、奥平組が表彰台にあがりました。うれしい〜!!

40分の耐久レース、3位表彰台に上がることができました〜、うれしい!!
次回Vol.2ではこの後行われた 2つ目のレース「TINTOP」についてレポート致します! お楽しみに。
STAFF CREDIT: [photo]田口清・まるやまかつみ・奥村純一 / [movie]よっしー&おくちゃん

本業はフリーランスとして活動中のスチールカメラマン。愛車は1931年Austin Sevenから、1964年のFord Angliaなど、旧いクルマばかりを10台あまり所有し、日常生活はもちろんのこと、遠方への仕事にも使用。趣味のヒストリックカーレースでは、戦前車からスポーツカー、ツーリングカー、葉巻型フォーミュラーカーまで乗りこなす。そうした経験から自動車専門誌や、雑誌での特集記事などの執筆も行い、半年に一度、雑誌「The Vintage Wheels」の編集長として、旧い2輪車、4輪車の魅力を発信中である。
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